サーフィンほど楽しいものを、わたしは他に知らない。しかし、そんなサーフィンが楽しく思えない時があった。
なぜ、そのような心境になったのか。どうすれば改善できるのか。など、少し心の働きに焦点をあててみよう。
成長がモチベーションを高める
サーフィンは、精神的な部分が大きく影響を及ぼすスポーツである。どんなに格好つけても、粋がっても自然の前では、自分を誤魔化せない。実力以上のライディングは出来ない。
20代後半から30台前半の頃は、コンペテイターとして、福島から九州まで大会があれば駆けつけていた。表彰台にあがることもあれば、1コケも沢山あった。それでも自分のライディングを客観的に評価して頂き、成長を実感出来ていることが嬉しかった。
そのお陰もあり、全日本の出場資格を得たこともあった。しかし、どうしても外せない仕事により出場を断念する結果となった。
ここまでが限界であったのだと、わたしはこの日から大会に出場しなくなった。
クラシックロングボードとの出会い
心にポッカリ穴があいたようであった。なにをやっても楽しめなかった。お酒に逃げることもあった。気がつくと家庭内がとげとげしくなっていた。これではいけないと様々なことをしたが、どれも効果がなかった。
そんなときに出会ったのが、クラシックロングボードであった。今までは、ハイパフォーマンスのロングボードで、自らアップスンダウンで加速して、深いボトムターンから入射角を鋭角にして垂直気味に板を波からつきだし、波のパワーをもらいボードを返す。
これを如何に大きい波で完成度の高い技を決めるか。それが全てであった。当て込みには多少なりの自信があった。しかし、このクラシックロングボードで当て込みは難しかった。
それは、自分の得意を消し去る代物であった。
新たな挑戦が生まれた
今までのわたしであれば、大会でより難易度高い技を決めやすくするために、ボードを新調してきた。
自分の足りない部分をボードに補ってもらうためだ。
しかし、大会という目標がなくなったときに、ボード選びはその指針を失った。
このため、どんなボードを選んで良いのか解らなくなっていた。この時、なんでクラシックロングボードを選んだのかはあまり覚えていない。なにか戦略があって選んだわけでもない。
乗ってみて感じたことは、今までの常識(技術)がいっさい通用しないということだった。クラシックロングボードを乗りこなすことができずに、もがき苦しむことになった。
このボードのフィーリングを理解するまでに数年はかかったとおもう。自分の技術を助けるだけのボードが良いのではないと、初めて思い知らされた様な気がした。
ここに、クラシックロングボードをスタイリッシュに乗りこなすという目標ができ、新たな挑戦の日々を迎えることになった。