人生の後悔
どんなに立派な人でも、後悔の一つや二つはあるものである。過去を後悔してもなにも始まらない。人が後悔をするのは、やりたいことをやらなかった時に強く心に刻まれる。わたしの後悔をお話ししようと思う。一つ目は、『指宿の砂風呂』に入らなかったことである。
夏休みに1週間かけて九州一周のサーフトリップに出かけたのだが、この時は、本当に波に恵まれたトリップだった。福岡から大分に移動し、シークレットポイントをチェックしたが、頭以上の波が入っていたが、風が合わなかった為、海に入るのを断念して、家族旅行でもあったの、温泉で日頃の疲れをとることにした。宮崎主体で計画をしていたのだが、台風のうねりと風を考えると鹿児島と熊本方面の方が波が良さそうだったので、急遽進路をかえ、指宿へと向かった。
到着したのは、夜の8時を過ぎていた。ここでも温泉と食事を堪能したが、砂風呂は日中にしかやっていないようであった。初日は、移動だけで終わったので次の日は海には行りたくて仕方がなかった。ここで、究極の選択に迫られた。波か砂風呂かである。
波がいいのは予測がついた。しかし有名な砂風呂には入りたい。結局のところ砂風呂には入らず波を求めて早朝から動き出した。この判断はサーファーにとっては正解であった。行くポイントすべてが、最高のコンディションであった。しかし、妻と今になっても砂風呂入らなかったことが後悔の話の種となる。
もう一つの後悔
2つ目は、山口にサーフトリップにいった帰りに、温泉に使ったのだが、そこで夕食にするか、帰宅するか迷っていた。翌日仕事も早かったため、そのまま帰宅したのだが、やはり食べ物恨みはいつまでも残るもので、確か、川棚温泉の元祖瓦そばである。『迷ったら食べろ』というのが教訓だ。
3つ目の後悔は、そもそも行かなかったのだが、島根の石見銀山である。島根には、足を踏み入れることもなかった。何度も計画をたてたが、どうしても波が合わず、実行まで移せなかった。ここが、サーファーの悲しい性である。観光はすべて波とセットである。
故に波がないところへは、そもそも行かないのである。この年になってからは、だいぶ落ち着いてきたが、その当時は20代後半で、大会にも出ている頃だったので、波乗りがすべてにおいて優先していた。
『石見銀山遺跡とその文化的景観』は、戦国大名が争奪を繰り返した鉱山の跡地だ。銀は、大航海時代の交易に使用され、石見銀山の銀も主要な位置づけとされていた。石見銀山遺跡と島根県の波は、必ず訪れ、楽しみたいものだ。