波留須旅衣とビリーズの仲間たちがクラシックロングボードやハルスタビーに乗り、日本を旅しながらスタイルの確立を目指す。

温故知新、ガチ国産ボードMALIBU

日本のヴィンテージボード

日本で初めて、本格的なサーフボードが生産されたのは、1963年のことである。輸入ボードが15万円の時代、3万8千円で売り出された。

製造会社は、『米沢プラスチック』である。

エミュレータ

マリブでは3代目のモデルとなるエミュレータ。巷では、博物館級のボードと密かに噂される代物である。

現在の多くのサーファーは、このマリブエミュレータの存在すら、知らないであろう。ましてや、このボードを海に引っ張り出して乗ろうと考える人は皆無である。

私も、このボードの存在を知ったのは数年前である。20代から20年近くお世話になっているサーフショップのオーナーに見せていただき、そのプロポーションに一目惚れした。

そこからは、交渉の日々である。頼みに頼みこみ、何とか譲り受けることに成功した。

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Surf’ 60s Style

マリブについての貴重な文献がある。それは、えい出版社から発行されたサーフ’60sスタイルという雑誌である。

米沢プラスチックの米沢市兵衛社長とマリブの歴史が刻まれている。この米沢社長は、サーフィン界の本田宗一郎と言うに相応しい方だ。サーファーの中でこの方を知っている人は、一握りだと思われる。

しかしながら、日本のサーフィン界に残した功績は、あまりにも大きい。米沢社長の作ったマリブのボードを乗りたい。ヴィンテージボードを好むサーファーならこの衝動にかられても不思議ではない。

この思いを実現するため、ボードを少しずつリストアしているところである。ただ、フィンが残念ながら付いていない。理由は、前オーナーが、ガレージにボードを保管していたが、邪魔だったので蹴り飛ばしたらしい。

今や、50万以上の値の付くヴィンテージボードをである。これも、伝説に残る歴史の1ページであろう。そのため、フィンのテンプレートを探すべく各所をあたるのである。

新島サーフボード博物館

最終的にたどり着いたのが、ここ新島サーフボード博物館である。ここに、マリブのサーフボードが保管をされているという噂をかぎつけ、連絡をして確かめてみた。

結論的には、そのボードはエミュレータではなく、最終モデルのスーパーミニであった。このため、目的としていたフィンのテンプレートをとることは、叶わなかった。

それでも、ここの博物館の方々には、非常にお世話になった。無理を承知でのお願いであったが、快く引き受けてくれて対応して頂いた。この場を借りて感謝を意を伝えたい。

マリブのボードに乗る。

これから、もう少し時間はかかるが、しっかりとボードを直し、このボードで海に入りたい。まだ、もう少し、現役としてこのボードには活躍してもらうと思う今日この頃である。

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